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Scrumはじめるまえの本質的な部分の話 #agile #scrum

Agile Scrum

チームをスクラムにしたいのですが

とあるアプリの責任者に相談を受けた。 彼は自分のチームが改善フェーズにはいり一定のリズムでサービス改善したいためWF型からスクラム化したいらしい。 そこで、いきなり彼は「プランニングポーカーどうやるんですか」と聞いてきた。これは危ないと思った。

PO、SM、エンジニアの相互の信頼が一番大事。

信頼がポイント。それがない状態で始まると意味のない何かになりやすい。

最初にやるべき儀式は、プラクティスの勉強ではなく、 最終責任を取れるビジネス側ポジションの人が、「お互い80%くらいの確度でコミュニケーションしましょう」ということ。 お互いのガードを下げること。一蓮托生になること。

そして、「これの意味は、仮にPOが確度100%の画面ワイヤー等のドキュメントをエンジニアに渡せるのであればエンジニアも確度100%の見積もりを出せるけど、僕(PO)はそんな天才でもないので、80%の確度がやっとです。だからエンジニアの見積もりについても80%程度の確度のもので良いと思っています。だって僕からのインプットがクソだとそもそも正確に見積もれないですよね。これはよく言われている「見積もりはコミットじゃない」ということと同じになります。」とつなげる。

これがない状態でいきなりスクラムごっこが始まるとどうなるか。エンジニア(の契約形態による)がディフェンシブになってしまう。見積もりの精度を求められてしまうことになれているエンジニアはどうしてもバッファを見込んでしまう。これは本当の見積もりではない。つまりはチームが本当のパフォーマンスを出せなくなってしまう。

だから、「ビジネス責任者」から80%ルールの宣言をする。それがまず第一。ガードを下げる。信頼してもらう。

各プラクティスはその後の話である。

チームのためと思ったことがチームの生産性を下げることがある

また、「信頼」に起因して、いきなり個人のベロシティを計測することはやってはいけないという話をした。よくスクラム入門書みたいなものには、ベロシティガーみたいなのが書かれているが、これの意味するところはチームの生産性の可視化でよいことではあるもののあるリスクを含んでいる。また、更にそれで個人の生産性を評価しだすチームなどもある。はげしく危険。

信頼がない状況でやると、何が起きるか。

見積もりのサバ読みが始まる。もしくは、品質の低下が始まる。 自身のベロシティが自身の評価につながると思うと、多めに見積もったほうが生産性は高いマンになる。もしくは、見積もりよりも時間が掛かりそうな場合に、低品質でもおわりにしてしまえという考えが出てくる。 しかし、一概に必ずそうなるとはいっていない。

アジャイルの根底にはチームへの信頼というものがある。 その信頼が足りていないときに、これがおこるのだ。 「チームから解雇されるかもしれない不安」 「守るといっても結局まもってくれないのではないかという不信感」 「なんだかんだ見積もりにコミットになってしまうのでしょうという諦め」

そして、個人のベロシティ競争になってしまうと、さらに、相互のメンバ間の助け合いもおきなくなっていく。人のこと助けても自分のベロシティあがりませんし。と。

個々の生産性を可視化して改善して高めることでチームの生産性を高めようという思いが、逆にチームの生産性も品質も下げるという結果を招いてしまうのである。 (ラプラス憲章みたいなものですね。最初は人類の希望だったのに。それがこじれて戦争になってしまうという。)

なので、ベロシティを見るのはチームの単位まで。 皆の信頼関係があるような次のステップのチームであれば別に自由でよいけど。

みんながその働き方が好きであるわけではない

とはいえ、スクラムの本質は可視化であるため、どうしてもついてこれなくなる人は出てくる。みんながその働き方が好きであるわけではないことを理解しないといけない。ドライな世界だが、チームで成長していけるので、機能すればチームの生産性はスプリント毎に上がる。

そんなお話をした。

本当につたえたかったこと

この手のチームの開発プロセスの話は文脈(ビジネスモデル、商流、体勢、etc)の影響を強くうけるのでかならずこうであるとは言えないが、プラクティスを追うのではなく、人間の力学として、どういう判断をすると、どういうことがチームで起こるかということを考えるのが大事である。